
Senior Advisor + Branding Producer
NAOSHI ISHIHARA
日本・東京出身。19歳から電通グループでイベント企画制作の仕事に従事し、企業イベントのほか、コンサートイベント、ファッションイベント、スポーツイベントなど多くのイベントプロデュース業務を経験。 “ベストジーニスト賞” では1984年第1回の立ち上げメンバーとして参画から33年間プロデューサーとして従事しプロジェクトから勇退。
また、財団法人日本プロサーフィン連盟のアドバイザーに招聘され、サーフィンのプロスポーツリーグとしてのアドバイスや国内ツアーのスポンサードなどをサポート。 プロスポーツとしてはまだマイナーであったプロサーフィンの大会に年間スポンサーとして大手自動車メーカーを獲得し日本のプロサーフィン界に市民権を与えた隠れた立役者でもある。 他にも、人気女性アーティストのデビュー10周年船上初ライブの総合演出や人気グループの移動型遊園地コンサートのライブパート以外の演出プロデュースチーム参画するなどのプロデュース業を中心に行う。
30歳の時に、飲食+空間デザイン+ブランディングの要素をミックスしたユニークな会社を立ち上げ、数々の話題となるプロジェクトを生み出す。 1991年日本で初めての外資企業によるディスコ “ジュリアナ東京” のブランディング・プロモーションを担当し、またたくまに日本全国で有名になり当時の新しいエンタテインメント業態として一斉を風靡した。他には、NBAカルチャーをテーマにした複合施設 “原宿フープタウン” の業態開発や、日本初のインディペンデント映画会社の立ち上げ、J-WAVE開局10周年イベントとしてインディペンデント映画祭などのプロデュースも手がけた。1995年日本で初めてのインターネットカフェ “エレクトロニックカフェ東京” をオープン。当時まだインターネットが社会普及していない中、多くのメディアから取り上げられ注目を集める。 2002年日韓ワールドカップサーカーの決勝戦前夜祭では総合演出プロデュースチームにも参画する。
日本を代表する眼鏡メーカーの流通向け発表会を前オバマ大統領が愛用するハワイ州オアフ島のカイルアの邸宅で開催し話題となる。また、老舗靴販売企業のハワイ進出ではワイキキとアラモアナに2店舗をオープンさせ、オープニングイベントではグラミー賞受賞グループのブラック・アイド・ピーズ(The Black Eyed Peas)のメンバーを招聘しローカル間にも大きな話題となり企業進出デビューを演出した。 他にも、老舗和菓子企業のハワイ進出サポートや、日本最大のPR会社のハワイ支社を設立し、積極的な事業買収を目的としハワイ大手PR企業の完全買収をコーディネートするなど他多数。
2022年にハワイのブランディング・デザイン会社Clarence Lee Designのアドバイザー兼プロデューサーに就任。 ライフブランディング・サービスの “WAAP(ワープ)” を立ち上げ、これまでに培ってきた多くの実績と経験を活かし、日本企業のハワイ進出を成功へ導くサポートに情熱を注いでいる。